憂鬱も花を咲かせる
syrup16gは憂鬱なバンドだ。
正確に言うと五十嵐さんが病んでいるだけかもしれないけれど。
しかし曲が素晴らしいというか好みすぎる。
私は音楽好き(主にロックと呼ばれるような)ではあるけど、あんまり音楽理論のことは詳しくない。だけど、五十嵐さんが聴いていた曲というのはおそらく私が好きタイプの曲なのだろうなと思ってしまう。メロディの節々にあっ!ここ!て所があり、脳みそが喜ぶ。
しかし、ずーっと憂鬱なのがいただけないと思っていた。
なんていうか、影響を受けやすいので憂鬱にひきずられるというか、曲に引きずられて自分がメランコリーになるとかそういうことでは困るのだ。
でも、ある日syrup16gの曲を聴いていて、
「綺麗だな、憂鬱って綺麗なのかもしれない」
と思ったのだ。
憂鬱を悪と決めつけていたけれど、そんな悪いものでもないなと。
自分の中にある鬱蒼とした部分が、こんなにカッコイイ曲に似ているのであれば、それって別に毛嫌いする必要ないのでは?と思ってしまった。
なるべく憂鬱にはなりたくはないのだけど、自分の一部としてそれを認めたときに、それはそれでアリだなと思ったのだ。
だってそれが自分の全てではないのだから。
銀閣寺には、「大切な苔」と「ちょっと邪魔な苔」と「とても邪魔な苔」が展示してあるけれど、排除はされつつもすべての苔がそのままあっていいんだなと思う。
それを感じたときと似た感覚だ。
(銀閣寺がどういう意図でそれを展示しているかはわからないけど、禅寺だから見た人に色々考えさせるためだろうし、色んな他の解釈はあると思う。)
それからはsyrup16gの曲にひきずられることもなくなり、味わえるようになった。