空気の記憶

日々の心象写真です

万人に効く薬

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前回の投稿の例とは逆に人の話を聞きすぎて自分が出せずつらくなる人もいると思う。

そういう人は人の話を聞くのをやめて、思い切り自分を甘やかしたらよいと思う。

吐き出したらよいと思う。

 

しかし不思議と、自分の話ばかりの人はますます自分を吐き出し

人にあわせてばかりの人はますます自分をためこむ。

 

なかなかうまくバランスがとれないものだ。

 

人によってアドバイスを変えるというブッダの姿勢は正しく、万人に効く薬なんてないのかもしれない。

自分なくし

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精神を病みやすい人というのは、人の話を聞いてないことが多い。自分の話ばかり。

だから、自分も病んでるときというのは、人の話を聞いてないのだろう。

落ち込んだときほど、自分の中でぐるぐるしてしまうので、逆に自分のことは忘れて人の話を聞いてみたらよいかもしれない。

水無月

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夏越の祓とかは何となくちゃんと茅の輪くぐりをしに行く。

水無月を食べる。

 

要らない気持ちを洗い流すために。

実際に洗い流せるわけではないけど。

 

でも、本当に必要のない気持ちなんてあるのかな?

なんて考えてみたりする。

 

 

 

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辛い出来事を笑いに変えたい。

曲とか絵とかでもいい。

 

そうじゃないと気が狂いそう。

 

穴ぐらの中に隠れたい。

せめて小さい小さい茶室に隠れたい。

 

誰の声も届かないようなところへ、

誰も探しあてられないようなところへ隠れたい。

 

誰にも会いたくない。

 

そうしていればまた、誰かに会いたくなるのかな?

 

憂鬱も花を咲かせる

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syrup16gは憂鬱なバンドだ。
正確に言うと五十嵐さんが病んでいるだけかもしれないけれど。

しかし曲が素晴らしいというか好みすぎる。

私は音楽好き(主にロックと呼ばれるような)ではあるけど、あんまり音楽理論のことは詳しくない。だけど、五十嵐さんが聴いていた曲というのはおそらく私が好きタイプの曲なのだろうなと思ってしまう。メロディの節々にあっ!ここ!て所があり、脳みそが喜ぶ。

しかし、ずーっと憂鬱なのがいただけないと思っていた。

なんていうか、影響を受けやすいので憂鬱にひきずられるというか、曲に引きずられて自分がメランコリーになるとかそういうことでは困るのだ。

 

でも、ある日syrup16gの曲を聴いていて、

「綺麗だな、憂鬱って綺麗なのかもしれない」

と思ったのだ。

 

憂鬱を悪と決めつけていたけれど、そんな悪いものでもないなと。
自分の中にある鬱蒼とした部分が、こんなにカッコイイ曲に似ているのであれば、それって別に毛嫌いする必要ないのでは?と思ってしまった。

なるべく憂鬱にはなりたくはないのだけど、自分の一部としてそれを認めたときに、それはそれでアリだなと思ったのだ。

だってそれが自分の全てではないのだから。

銀閣寺には、「大切な苔」と「ちょっと邪魔な苔」と「とても邪魔な苔」が展示してあるけれど、排除はされつつもすべての苔がそのままあっていいんだなと思う。

それを感じたときと似た感覚だ。

銀閣寺がどういう意図でそれを展示しているかはわからないけど、禅寺だから見た人に色々考えさせるためだろうし、色んな他の解釈はあると思う。)

 

それからはsyrup16gの曲にひきずられることもなくなり、味わえるようになった。